海外赴任の話が出たとき、私は「ついていくべきかどうか」でとても迷いました。
家族は一緒にいた方がいいのか。でも、日本に残った方が自分の仕事や、子どもの生活は守れるのではないか。

正直、渡米して3年目の今でも、正解だったのかはわかりません。というか、正解なんてないのかもしれません。
- 仕事を辞めなければいけない
- アメリカでしばらく暮らして、本帰国した後に子どもは日本になじめるの?
- 言葉が通じないことへの不安
- 医療への不安
たくさんの不安の中で、結局私たちは帯同しました。
実際にアメリカに来てから、大変だと感じることがたくさんありました。
でもその一方で、日本にいたら絶対にできなかった経験や出会いもありました。
海外赴任の帯同は、家族一緒にいた方がいいと簡単に言えるものではないと思います。
だからといって、「行かない方がいい」とも私は思いません。
この記事では、海外赴任の帯同を迷っていた私が、実際に来て感じた
・大変だったこと
・来てよかったと思うこと
を正直に書いてみたいと思います。
今まさに帯同するかどうか迷っている方の参考に、少しでもなれば嬉しいです。
帯同を迷った理由

まずは、当時の私が何に迷っていたのかを書きます。
仕事を辞めることへの不安
私は、パート看護師として働いていました。
ただ、結構ミスもしてしまうし、判断力もないし、ずっと看護師としては自信がなく、このまま看護師を続けてていいのか疑問には思っていました。
でも、経済的なことを考えて、辞める決断をする勇気もなかなか出なかった。
帯同先がアメリカで、アメリカは物価が高いとよく聞くので、経済面も不安でした。日本にいた方が、私が働けるから、経済面では日本に残った方が良いのではないかと思いました。
また、本帰国する頃にはまたブランクができてしまうため、看護師として戻れるかどうかも不安でした。
子どもへの影響
夫がアメリカに単身で赴任するとき、子どもは4歳、2歳、そしてお腹に1人。妊娠後期で産休間近のときに夫は1人アメリカに発ちました。
父親がいない中で、3人目の出産は本当に不安だったし、そのあとも小さい子ども3人を、1人で責任を負って育てている感覚でした。
それでも、父親がいない状態でも周りの助けがあって、大変ではあったけど、子どもたちは楽しそうに幼稚園に行っていたし、私自身も夫がいない生活に慣れてきた。

だからこそ、子どもたちに、友達や祖父母と簡単には会えなくしてしまうことへの罪悪感がありました。
本帰国する頃には、友達も大きくなっているし、アメリカから帰ってきた後の生活に、子ども達がうまくなじめるかも不安でした。
今の子どもの環境を壊してしまうことに、不安と罪悪感を抱えていました。
環境の変化が怖かった
言葉が違う国で、上手くやっていけるかも不安でした。
また、夫以外に頼れる人がいない中、子ども達と生活していけるのかも心配でした。
何か病気になったらどうするんだろうとか、そういう心配もありました。
帯同するかどうかを決めるまでにしたこと

情報収集
夫にお願いして、以前同じところに帯同していた方と連絡を取り、現地の情報を聞きました。

子どもの学校のこと、医療・歯医者のこと、今子どもたちは日本でやっていけてるのかなど、話を聞けて、安心できた面も多かったです。
子どもに気持ちを聞いた
当時5歳だった長女に「アメリカに行きたい?パパと暮らしたい?」と聞きました。
長女は「パパと暮らしたい」と言いました。その言葉も、帯同を決めたきっかけになりました。
夫の気持ちを聞いた
夫は、なかなか自分の気持ちを話すような人ではありません。
「来てほしい」とは言わないのに、
来てほしそうな態度はとる。
こちらが必死に1人で子ども3人と生活している中、こんなに迷っているのに、あんまりにも煮え切らない態度なので、一度は「行かない」と決断しようと思いました。

でも、それでいいのかも迷う。
子ども達が小さくて可愛いこの時期に、パパとして子どもを見なくていいのか。
できれば、パパとママと2人で親として子どもの責任を背負ってほしい。
そこで夫へ「来てほしいの?」と電話で聞きました。
夫の「来てほしい」という返事を聞いて、そこでしっかりと帯同する決断をしました。
実際に帯同して大変だったこと

実際に海外帯同するとなると、想像以上に大変なこともありました。
想像以上に大変だった家族関係
義父の説得役になったこと
帯同すると決めて、まず大変だったのが義父への説得でした。
夫がいない中、たくさん助けてもらった義両親。
でも、おそらく孫がいなくなる寂しさのせいだったんだと思いますが、帯同をすると伝えたら、義父が、自分の息子ではなく、私に「やめた方が良い、子どもが大変だ」と怒りをぶつけてきました。
夫にも相談しましたが、夫は賛成している母親にしか連絡しませんでした。そして、その義母も、私に説得するよう言ってきました。

正直、いまだに許せない出来事です。
でも、帯同を決めて動いていたところでもあったし、義父へ私が話し、義父は納得してくれました。
夫のサポートが少なかったこと
夫は、仕事優先の昭和のような人。
アメリカにいても、夫以外に頼れる人がいなくても、仕事優先はなかなか変わりませんでした。
最初の方は特に、私がケガをして右手が使えない状態でも、早く帰ってきて協力するということもなく、本当につらかった。
体調不良のときに子どもを見るなど、今は伝えれば少しずつはやってくれるようにはなった気はしますが、夫が家庭をまわすことにも気を向けてくれないと、やはり辛いなと思います。
気持ちを共有できない孤独
家庭に閉じ込められたような、そんな孤独な気持ちになることがあります。
唯一家庭内で話せる大人である私の夫は、人の話を聞いて気持ちに寄り添うようなことがあまりできません。
夫は、仕事を頑張っているとは思う。日本語が通じない環境でよく働いてるなとは思う。

でも、私も、夫以外に頼れる人がいないし、友達もいない、生活していても日本語が通じないこの環境で、よく子どもを安全に育てているなと思う。今はそう思う。
アメリカに来る前も、今も、毎日家庭をまわしている私に、感謝や謝罪があったら、もうすこし楽な気持ちで過ごせるのになと思うことも良くあります。
アメリカ生活の不安とストレス
医療に対する不安
日本語が通じない中で医療を受けるのは、結構不安でした。
最初に特に思ったのは、渡米2か月くらい経ったときに、ケガをしてERに行った時のこと。
どこのERも同じだとは思いませんが、私の住んでいる田舎町のERは、全然救急って感じではなく、待ち時間もすごく多くて、点滴の針も5回くらい失敗されました。

日本では、あまり失敗されたこともなかったし、そこで一気に不信感につながってしましました。
でも、そんなところばかりではないこともわかってきたし、アメリカの医療はサービス業という面が強く、ピンキリだなと思います。
トルネードなど自然災害
初めてTornado(トルネード)警報を聞いたときは、すごく怖かったです。
アメリカでは地震はあまり起きないけど、トルネードは春から夏にかけて特によく起きます。

携帯から、警報と避難指示が出たときにはとても驚いたし、行動に迷いました。
▶アメリカのトルネード警報についてはこちらの記事で詳しく書いています。
社会から離れた感覚
社会からの孤立感
海外帯同して働く人は、結構少数派なのではないかなと思っています。
外に出かけても、普通に誰かと会話できるわけではない。
日本に電話を掛けられはするけど、時差もあり、だれかと話したい時にすぐ話せるわけじゃない。
日本のニュースも意識しないと入ってこないし、流行りのものなんてわからない。
子どもはいつも一緒にいるけど、家庭内で話せる大人は夫のみ。

そんな環境が、社会から孤立したような感覚にさせます。
お金への不安
必死に生活をまわしている、日本語も通じない環境で子どもを見て、家事をして、そんな毎日を過ごしているけど、お金を稼いでいるわけではない。
買い物や、お金を使う度に、私は消費しかしてないななんて感じることもあります。
それでも来てよかったと思うこと

正直、大変なことの方が多かったと感じる時期もありました。
それでも、今振り返ると『来てよかった』と思えることも、確かにあります。
人との出会いに救われた
正直しんどいことも多かったけど、人との出会いに何度も救われました。
アメリカ人の優しさ
アメリカ人は、とても優しいと思います。
知らない人でもにこやかに手を振ってくれる。挨拶してくれる。
買い物していて子どもがぐずっていたら、話しかけてくれる、シールをくれてあやしてくれたりする。
「ママは24時間働いているHard Worker」「あなたはとてもがんばっている」と、専業主婦でも労ってくれる。

とてもあたたかいなと感じます。心が救われます。
日本人の高齢者との出会い
私の住む町は本当にアメリカの田舎町で、日本人は、夫の同僚の方以外いないと思っていました。
それが、近所に住む90歳台の1人暮らしの日本人女性に出会ったんです。数年前にアメリカ人の旦那さんは亡くなっていて、それから一人で暮らしているそう。

その出会いも偶然でしたが、本当に素敵な出会いだったなと思っています。
その方とは、時々お茶をする仲で、一時帰国で日本の新聞をお土産に買っていったら、とても喜んでもらえました。
日本ではできなかった経験があった
海外で暮らしたからこそできた経験は、一生ものです。
異文化の中で生活したこと
日本と全然違う文化の中での生活は、帯同しなかったら絶対に経験できなかった。
アメリカの学校のバスのありがたさ、パジャマデーなどの日本ではない行事、先生とのコミュニケーション、長い夏休み
スーパーでは薄切りの肉がなかなか売ってないこと、魚コーナーがとても狭いこと

日本では考えられない面白い経験ができたなと思います。
英語でのコミュニケーション
決して流暢な英語ではないけど、ネイティブの人達と英語で話せることは、とても楽しい経験になりました。
日本で英語を勉強するより、ネイティブの方と話すというのは本当に使える英語を学ぶ良い機会だなと感じました。
▶ESLの探し方はこちらで紹介しています。
ディズニークルーズ
アメリカのフロリダから、バハマへのディズニークルーズに行けたことは、多分一生の思い出だなと思います。
▶ディズニークルーズに行った経験についてはこちらの記事でまとめています。(執筆中)
自分が変わったと感じたこと
おそらく、日本にそのままいたらやっていなかっただろうな、考えられなかっただろうなと思うことがたくさんあります。
お金の勉強を始めたこと
お金の面が不安で、お金に関するYouTubeを見始めました。そこで見つけたのが両学長です。
新しい趣味
これは、いつか副業を少し意識したものですが、かぎ針編みを始めました。まだ難しいものは作れませんが、編んだものを子どもや学校の先生にプレゼントしたりしています。
アメリカの人たちは特に手作りした手間のかかっているところに目を向けてくれます。
また、コーヒーのおいしさに気づき、コーヒーを豆から挽いて淹れるようになりました。
もう一つ、食の健康を意識し始めたことも変化の一つです。ものすごくゆるくですが、4毒抜きを意識するようになりました。
ブログを始めたこと
ブログは、お金の勉強をしたことから、副業を意識して始めました。
でも、ブログで記事を書くことが、帯同して孤独だった自分の心を救ったり、役割を与えてくれているなと、今は感じています。
▶ブログをはじめてよかったと思ったことは別記事で詳しく書いています。
公衆衛生への興味
本帰国後、どうやって働こうかは、帯同する前から今までずっと悩みです。
でも、ブログを書くことで気付いたことがあります。
私は、生活をしている人に、医療に携わってなくてもわかる言葉にして、誰かの役に立つ情報を発信することができるなと。
もともと人の話を聞くことが好きで、だれかを精神的に癒したい、そこに生きがいを感じていました。
生活をしている人に寄り添うこと、それが公衆衛生看護ならできるなと気付いたんです。
現場の看護師ではなく、生活している人に関わる働き方をしてみようかなと思い、本帰国後どうやって働いてみようか、前向きに考えられるようになりました。

そう思わせてくれた、気付かせてくれたブログに、感謝しています。
帯同して気づいたこと

家族一緒が正解とは限らない
私は、「家族は一緒にいた方が良い」という認識に少し囚われていたかもしれません。
そりゃ、配偶者が単身で別のところに住んでいたら、子どもを近くで支える親は1人になってしまいます。
責任は1人にのしかかるかもしれない。
でも、その子どもを支えている親である自分が無理することはない。
子どもの年齢や環境によって帯同を選ばない家族だってたくさんいると思う。
実際、夫の同僚の方で、単身赴任の方もよくいます。
年に1度、家族をアメリカに呼んで過ごしたり、会社のお金は出なくても自腹で日本に一時帰国しているようです。

付いていくことが当たり前ではないし、それぞれの家族の形でいいんです。
でも行かなければ分からなかったことがある
私の場合は、帯同したからこそ夫との関係を見直すきっかけにもなったかなとも感じています。
そして、大きくなってきたからこそかもしれませんが、支えていると思っていた子ども達が、私を支えてくれていることにも気づき、感謝の気持ちが深くなりました。
また、看護師という職から離れなければいけなかったからこそ、自分が生きがいを感じられそうな仕事、役割について考えることができたかなとも思っています。

人生を見つめ直しているような、そんな感じ。
後悔していることと気持ちの持ち方

ただ、ひとつだけ「もったいなかったな」と思うことがあります。
それは、「行かなきゃいけない」という気持ちで帯同してしまったことです。
本当は迷っていたのに、どこかで「仕方ない」「行くしかない」と思ってしまっていました。
その気持ちのまま過ごした時間は、正直しんどさの方が大きかったです。
もっと早く、こう思えていたらよかった
今だから思うのは、どうせ行くなら「せっかくなら楽しもう」と、もっと早く思えていたらよかったということです。
- 人と違う経験ができる
- なかなかできない体験ができる
- 自分の世界が広がる
実際にそういう面は、たくさんありました。

でも当時の私は、それを受け取れる状態ではありませんでした。
自分の気持ちは、少しずつ変えられる
最近身をもって気づいたのは、「人を変えることは難しいけど、自分の気持ちは変えられる」ということです。
環境や相手に期待してしまうと、どうしてもしんどくなる。でも、自分の捉え方を少し変えるだけで、見えるものが変わることがあります。

せっかくなら楽しもうと前向きに見てみる。それだけで、気持ちは少し軽くなったと思います。
あの時の自分に伝えたいこと
もし、帯同を迷っていたあの頃の自分に声をかけるなら、「頑張らなくていいよ」と伝えたいです。
もう十分、悩んで、考えて、決めているから。そして、十分頑張っているから。
だからこれ以上、頑張ろうとしなくていい。
それよりも「どう楽しむか」を考えてみてほしいと思います。

この経験が、誰かの迷いの中で、少しでもヒントになれば嬉しいです。
帯同を決めた方へ
駐在準備についてまとめた記事もあります。よければ参考にしてください。


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